ブルゴーニュ研究 -その1・歴史的背景-

 さて、ブルゴーニュ研究といいましても、ブルゴーニュのワインの世界は非常に深く
広く、私もその一部をかいま見ただけにすぎませんから、みなさんとごいっしょに研究
していきたいと思います。
 まず、一つ言える事は、ブルゴーニュでまっとうなワインはそれなりの値段がします
ので、なかなか日常的に飲めるワインというには大変なものがあるという事があります
。まず、1,000円以下のブルゴーニュはありません(汗)、しかし、いいブルゴーニュワ
インは本当に鑑賞に値します、そしてこの世の中でも最高の快楽を与えてくれる素晴ら
しい飲み物であることにはまったく異存がありません。
 しかしながら、玉石混合、ここ一番に村名や畑名だけで、注文してもハズレを出して
しまう事もありがちな事です。
 ハズレを出さない為には、まず優良な造り手を知る事、そして、その造り手がどうい
う傾向のワインを造るかを知ることが重要です。
 例えばドメーヌ・ド・ロマネ・コンティ(DRC)という偉大な造り手がいますが、この造
り手のワインを出荷直後に味わっても、本当の良さはまったく出ていません。逆に、出
荷直後の若い状態でこそ味わえるフレッシュなブルゴーニュルージュもあります。
 要は誰が造った、どこのワインを、いつ飲むか? がブルゴーニュワインを味わう上
で重要なポイントとなってきます。これは実はワイン全般に言えることなのですが、特
にブルゴーニュの場合はその落差が激しいように感じます。

■ブルゴーニュの歴史的背景

 現在のブルゴーニュの名声のルーツを語るのであれば、遥か1億5000万年以上前、ジュ
ラ期までさかのぼらなければなりません。
 ブルゴーニュはその当時海で、海中生物の死骸が白亜質泥岩とともに圧縮されて化石
となり、また海中の石灰分が沈殿して石化し、後にこれがブルゴーニュ地方の地質とな
りました。
 ブルゴーニュで葡萄の栽培が始まったのはギリシャまたはローマ時代だと言われてい
ます。ギリシャ人がマルセイユに移民した紀元前600年ごろに彼らがローヌ渓谷を移動し
た際、ローヌのみならずブルゴーニュも葡萄を植樹したという説と、古代ブルゴーニュ
の遺跡にローマ文明の影響がみられる事から、ローマ人が葡萄を持ち込んだとする説が
ありますがいずれにせよ確かな証拠がないため、未だ推論の域をでていません。

 ブルゴーニュの隆盛をもたらしたのはキリスト教がこの地で修道院を繁栄させた事に
よります。10世紀にアキテーヌ公は、マコネのクリュニーに今ではリキュールでも名高
い、ベネディクト修道会を設け、ブルゴーニュ公国の修道院の中心としました。
 さらに1098年ベネディクト会の別流シトー会がシトー修道院をニュイ・サン=ジョルジ
ュ村の東の荒れ地にシトー修道院を建てました、シトー会の修道僧は質素な生活と困難
な労働を生活の基準とし、岩だらけの荒れ地を開梱し、今日、コート・ドール(黄金の
丘)と呼ばれる銘醸地の基礎を造りあげたのです。
 現在、INAOによって決定されている生産地呼称法=アペラシオン・オリジネ・コントロ
ーレ(AOC)の原形はすでにこの修道院時代にあったようで、例えばクロ・ブジョの斜面
の裾で出来るワインを「修道士用(キュヴェ・デ・モワンヌ)」、より美味しい中腹で
採れたワインを「王様用(キュベ・デ・ロワ)」さらに上部の最上の地域で採れた葡萄
よりつくられるワインを「法王用(キュヴェ・デ・パフ)」と呼んでいたそうである。

 この当時、もう一つの代表的ワイン産地、「ボルドー」はイギリスの支配下にあった
ため、ブルゴーニュワインは主にパリに出荷されていて、彼ら宗教団体はその大半を掌
握していました。
 こうしたブルゴーニュ公国の隆盛は14半ば〜15世紀半ばに絶頂を極めていました。
 この間、2人の代表的な君主がブルゴーニュのワイン造りに多大な影響を与えました。
 最初の一人はフィリップ豪胆公(1364〜1404年)は1395年にガメ種を引き抜き、高品
質のワインを産するピノ・ノワールを植えるように命じました。これが後のブルゴーニ
ュワインのスタイルを決定づけたのです。
 次に有名なフィリップ善良公(1419〜1467年)はジャンヌ・ダルクを捕らえた人物と
して悪名高いのですが、終生ブルゴーニュワインを庇護し、奨励しました、1441年には
ディジョンの水捌けの悪い土地ではピノ・ノワールを植える事を禁止する法律を制定し
、品質の向上に貢献しました。また、フィリップ善良公が任命したニコラ・ロラン財務
長官が1443年に亡くなった時それまで蓄えた膨大な遺産をボーヌの名高いオテル・デュ
ーに寄贈し、現在オスピス・ド・ボーヌの医療院の一部になるとともに、寄進されたぶ
どう畑から出来るワインの収益で維持されています。
 しかし、こうしたブルゴーニュ公国時代は最後のシャルル豪胆公(1467〜1477)が戦
死、軍隊が壊滅してしまったことで終焉を迎えます。

◆フランス革命
 1789年のフランス革命がブルゴーニュ地方に与えた影響は非常に大きく、現在のブル
ゴーニュの複雑なワイン事情が出来たのはこの時です、富裕階級や修道院のワイン畑を
分割したのに続き、ナポレオン民法がさらに畑の細分化を助長する、親が死んだ場合、
子供には全員土地の平均分与が義務付けられたためです。
 こうして、ブルゴーニュの畑はとんでもないほどに細分化され、同じ畑でも多数の所
有者がいるという状況になってしまいした。

◆フィロキセラの被害
 19世紀後半、新大陸から持ち込まれたダニの一種であるフィロキセラによってフラン
スのぶどう畑は壊滅的な被害を受けましたが、ブルゴーニュもその等しくその被害を受
けました。

◆世界大戦
 第一次世界大戦はさしたる被害を及ぼさなかったものの、第二次世界大戦では、ドイ
ツ軍に占領され、撤収するドイツ軍と連合軍の間で熾烈な先頭が繰り広げられました。
特にコート・ド・ボーヌの丘は激戦地でしたが、ワイン好きのフランス人司令官が、撤
退中のドイツ軍がピョリニー・モンラッシェやシャサーニュ・モンラッシェ、ムルソー
の格付け畑に入ると追撃を手控えたという逸話が残っています。